2012年7月18日水曜日

いじめをなくす方法を考える

今回のいじめによる自殺は、事例として酷すぎるためか、大きなニュースとなっている。


学校において、いじめという問題が生じて久しいが、
そろそろ、いじめをなくすということを真剣に考えなくてはいけない。
その方法をいくつか考えてみる。

1)いじめを刑事罰とする。
万引きや暴力を行うと罰を受ける。
それと同様に刑事罰して規定する。
いじめをすれば、逮捕されるとなれば、する人は必ず少なくなる。

2) 学校のあり方を変える。
小中高とクラスが決まるとずっと同じメンバーで最低1年は過ごすことになる。
これは、逃れようと思っても息抜きすらできなくなる。
大学のように、教科によってクラスが変わるということになれば、
固定化されなくなり、息抜きができる環境ができる可能性が増える。

3)教育委員会のあり方を変える。
いまの教育委員会が誰のためのものかわからないものから、
あり方を変える必要がある。
子供のための機関として権限と責任を明確化する。

4)教師の復権
昔の先生はビンタなど暴力があった。
今、行ったら大変なことになるらしい。
暴力を礼賛するわけではないが、
悪いことを行えばそれ相応の報いを受けるということは当然の報いだ。
学級崩壊という現象も、
教師の威厳がなくなったということが大きいのではないか?
 

2012年7月3日火曜日

荀子の言葉

宮城谷昌光さんの「奇貨居くべし」・・・何度目の復習だろうか?
「孟嘗君」が一押しだったのだが、
ここ数年は「奇貨居くべし」が一押し。
荀子の存在があるからだろうか?
ものすごい深い話に、何度読んでもお宝を発見できる。

「天下に名が知られるようになったら、天下とともに仁を楽しめ。
天下に名が知られなければ、かい然として天地のあいだに独立して、畏れてはならぬ。」

前回に続き、これも荀子から孟嘗君への言葉である。

そう、名を売るということ、これは昨今、パーソナルブランディングという言葉が流行りにように、
非常に重要なことかもしれない。
名が広まっていることは、何事かを為すときに、大きなアドバンテージとなる。

しかし、名が通っていなくても、
堂々と独立していればいいのだ!
と、当たり前のことながらも、
大きく背中を押してくれる言葉である。

やるべきことをやる。
そして、結果によって何も変える必要などない。

何も畏れることはない。


奇貨居くべし―火雲篇 (中公文庫)

本当の「こころざし』とは?

「花をみよ。早く咲けば早く散らざるを得ない。
人目を惹くほど咲き誇れば人に手折られやすい。
人もそうだ。
願いやこころざしは、秘すものだ。
早くあらわれようとする願いはたいしたものではない。
秘蔵せざるをえない重さをもった願いをこころざしという。
なんじには、まだ、こころざしがない。」
『奇貨居くべし(火雲篇)』宮城谷昌光

これは、荀子が少年・呂不韋にかけた言葉だ。
呂不韋は、後に秦の中国統一のきっかけといってもいい存在となる。

自分は、
人に言えば、前に進まざるを得なくなると思い、
自分のこころざしを多くの人に伝えてきた。
しかし、振り返ってみれば、それは軽いものだったのかもしれない。

秘蔵せざるをえない重さをもったこころざしを、
心に秘めて、
再度、チャレンジしてみたい。

本気で進めば、
雑音など気にならなくなることは間違いない。

時間も大切にするに違いない。

人とのつきあいも打算ではなく、
大事にするに違いない。




奇貨居くべし―火雲篇 (中公文庫)