2012年5月14日月曜日

ノマドブームの原点は「人に仕えることは人に縛られること」

『人に仕えることは、人に縛られることだ』

この言葉は、『奇貨居くべし(春風篇)』宮城谷昌光の一節である。
私にとって、この言葉はこの5冊もの長編のなかで、最も心に残る一節となる。
長きに渡り、私も会社に所属してきた。
そして経営層として取り立てていただき、多くの勉強をさせていただいた。
多大なる感謝もあるが、やはり、残念なことに、
この言葉をどうしても思い出さざるを得ない場面は多々生じる。

当たり前のことなのかもしれない。
資本主義社会において、資本家が一番の権力者である。
中小企業においては、ほとんどの場合は資本家=社長である。

この小説の主人公である呂不韋は、更に思う。
『・・・官途において累進するということは、自己の表現のはばを広げるというより、むしろ逆で、自分を殺し続けることになるのではないか。それなら、高官になりたいという夢は棄てた方がよい。ただ高位にすわるのは、いたって不自由で、人の情をうしなった自己である。』

これは、小さな企業から国家において、現在も当てはまる言葉ではないだろうか?
不自由さ、人の情を失うことを避けたい人が、
フリーエージェントになることを求め始めたのが、

ただ、これは、
「自由にやりたきゃ、一人でやればいい」
という簡単な言葉で済むことではない。

松下幸之助氏のように、人の意見を尊重して経営を行なってきた人もいる。
自己のはばを広げられる居場所もないわけではないと思っているし、思いたい。
自分を殺し続けることになるぐらいの居場所であれと思う人は、、
やはり今の居場所は棄てた方がいいのかもしれない。


奇貨居くべし―春風篇 (中公文庫)

2012年5月13日日曜日

人に仕えるということ

『主に仕えるのであれば、わが身の外をもってではなく、内をもってすべきだとおもいます』

これは、宮城谷昌光氏「奇貨居くべし(春風篇)」の一節だ。

『従業員も千差万別である。巧言を呈する者を近くにおけば気分はよく、その巧智を商売にまわしてみると、おもったほどの成果をもたらさない。・・・ほんとうに主人を喜ばせる者とはそういう者たつまり男でも女でも内なる容姿というものがあり、その容姿のすぐれている者こそ、依恃に値する。・・・』


これを読んだときに、いかに外をもって仕える人が現代には多いかということが頭をかすめた。確かに、既に時代は違う。この本は紀元前のことが書かれている。

しかし、”人が人に仕える”ということは、別に時代が変わろうが、本質は変わらない。

ただ、仕える側だけではない。
”主”の方も、おかしくなっているのが現代なのかもしれない。
仕える側が”内”をもって仕えていても、”主”の側は何も考えていないというケースも非常に多い。
その場合の仕える側の落胆は、想像に難くない。
絶望でしかない。

時代は変わっても、
主従の本質的な関係は変わらないと思う。

もう一度、人間の歴史を見直し、
人としての生き方を見直すべきではないだろうか?



2012年5月11日金曜日

電力会社を取り巻く構造を見直すことが脱原発につながる

東京電力が値上げをする。
これはある意味仕方のないことかもしれない。

東電値上げ「厳格に査定」=枝野経産相


しかし、仕組みは国と同じである。
減らすべきものをすべて減らしてから、値上げすべきだ。
完全民間なら何も言うべきことはないが、
民間でありながら、公営と同じである。

「値上げは私ども(東電)の権利です」
と恥ずかしげもなく言える神経がわからない。
1社しか利用者には選択肢がないのだから、
上げようと思えば、いくらでもあげられる。

となれば、やはり国営にすべきなのだろう。
しかし、国営だからといって、信用はできない。
天下りでいくらでも太れるわけだ。


となると、最善の方法は(国民にとって)、
発送電分離の上、一定の基準をもって、
民間参入をほぼ完全に自由化することだ。

NTTのケースもあり、
競争が生まれるべきだ。
そうすれば、価格は適正化するし、
原発反対の人は原発を使わない電力会社を使えばいい。

原発を抱える電力会社を皆で使わなければ、
自然と脱原発になる。

安易に値上げを許すべきではない。




日本が再興するための教育強化

幼稚園から始まって、小学校、中学校、高校までで、15年。
4年制大学まで行けば、19年もの間、学校に通う。

近頃、子供が幼稚園に行くのだが、
あまり面白くないらしく、
毎日泣いている。
幼稚園に行くと、しばらく園庭で遊ぶのだが、
いつもの様子では遊んでいない。

親としては、すごく心配になり、
本当にこんな嫌なことをさせる必要があるのだろうか?と思ってしまう。

しかし、社会というものを知り、コミュニケーションという ものを知るには、
やはりこういう経験というのは必要なのだろうと、
我慢を続けるしかないと、自分に言い聞かせている。

しかし、19年もの間の学校生活で何が得られるのだろうか?

挨拶もできない社会人
目標もない社会人
すぐに楽することを考える社会人
危機感のない社会人
想像力のない社会人
社会の仕組みがわからない社会人

こういう人たちのなんと多いことか?
この19年間というものは何を教えているのだろう?
自分も通った道だからわかる。

この19年間で教えることの大半は意味のないものと言える。
本当に教えなければならないことは、

挨拶
仕事とは何か?
考える技術
会計
社会のルール
政治とは何か?
経済とは何か?
議論の方法
コミュニケーション能力
使える英語
お金のこと・・・

これらは大学の専門では一部教えるが、
すべてを教えることはない。
これらは、義務教育で教えるべきだろう。

そうなれば、選挙に参加する人も確実に増えるだろう。
そうすれば、
「選挙民は家で寝てて欲しい」
と、時の首相がふざけたことを言うことはなくなる。

ゆとり教育には見直しが入ったが、
もう一度日本が再興するためには、
教育こそもう一度考えるべき分野だろう。

給料は当たり前にもらえない


給料というものは当たり前にもらえるものではない。

会社経営に携わっていると、

「給料をもらうのは当たり前」
「毎年、給料があがるのは当たり前」
「ボーナスはこれだけはもらわないといけない」
「これぐらいの給料はもらわないと、あわない」

などという勘違いをよく社員から聞く。
しまいには、

「給料あげてくれないと辞めますよ」

と脅しているつもりなのかという言葉まで飛び出すから驚く。

辞めればいい。
辞めて、もっと貰えるところがあるのなら、何も言わずに辞めればいいのだ。

しかし、前回のブログにも書いたように、
どこに転職しても、仕組みは同じだ。
”頑張り”など給料に関係ないのだ。

給料は当たり前にもらえるものではない。

経営という視点から考えても、
売上や利益がなければ払えないものだ。
ましてや、赤字や営業キャッシュが生み出せないようなときに、
上のような言葉は吐けるはずがないのだ。


しかし、経営など知らない、関係ない社員は、
平気で言ってくる。

一時だけ払って、あとは倒産するからゼロになることを選ぶとでも言うのだろうか?
会社がつぶれようが、給料だけは天から降ってくるとでも言わんばかりだ。

給料を上げたければ、
会社の利益をあげるために、
動かなければならない。

利益をあげるには、

「売上をあげる」
「コストを下げる」

の2つしかない。
簡単な話だ。

しかし、これについても何も考えずに、
毎日毎日、同じように仕事をしているだけでは、
上がるはずなどないのだ。

とんだ勘違いである。

来るべきフリーエージェント社会では、
大きな視点で見るということが求められる。
こういう目を持たない人は、
どうなってしまうのか、想像に難くない。。。

そして、実行だ!



2012年5月9日水曜日

給料はなぜその金額なのか?

『僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?』小暮太一

を読んだ。

僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか? (星海社新書)

この本は、労働者がラットレースから抜けだして、
幸せに暮らせるにはどうすればいいかが書かれています。

マルクスの『資本論』を土台にして、
給料のこと、会社のことがわかりやすく書かれており、
いくつもの疑問が氷解する良書だ!

なぜ給料はその金額なのか?という疑問に対して、
給料は、必要経費の積み重ねでしかないとしている。
つまり、給料は、労働力の価値として、

食事の価値
住宅の価値
洋服の価値
その他の価値

の積み重ねであり、会社の売上が上がろうが、利益が上がろうが関係なく、
よって、給料は上がらないとしている。

そう、

「一生懸命やれば、その分報われる」
「この給料じゃ、ここまで働けばいいだろう」
「がんばりは、誰かが見ていて、ご褒美をくれる」

とか、そういった言葉は給料には、何の意味もない。

給料額は、”がんばり”とは無関係なのだ。

こんな話になると、
「じゃ、がんばらない!」
という短絡的な人がすぐにでてきそうだが、
ここで考えなければならないことがある。

人は、楽をしたければ(語弊があるかな?)、
土台=価値をあげる
ということをしていかなければならないということだ。
簡単に言えば、”強み”、それも普遍的な”強み”を作ると いうことだ。

私は、給料は上がれば嬉しいが、
あまり考えないように働いてきた。
望みは、参謀のような存在になりたいということだった。

だから、様々な勉強をし、経験をしてきた。
M&A、新規事業の立ち上げ、財務対応、人事対応、マーケティング戦略構築・・・
本当にいろいろな経験をさせてもらってきた。
結果として、土台ができたのだと思う。

若い人は特に、
今、働いている仕事は、
土台=価値を作れるのかどうかを是非考えてみて欲しい。

2012年5月8日火曜日

平野敦士カール氏に学ぶ”人間力”の考え方

『勉強を続けていくことはどこに通じるのでしょうか? 
私は 最終的には 経営者が勉強を続けていくことは
人間力 を磨くためだと思っています。
勉強とは、すばらしい人たちとの仕事を通じて、
単に知識や資格を得るのではなく、
「考え方」「価値観」、そして「生き方」を学ぶことだと思います』

これは、平野敦士カールさんのメルマガの抜粋です。

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カール教授の経営者のための最新戦略・マーケティング思考~プラットフォーム戦略


私も、年間100冊~200冊ぐらいの本

経営関連
マーケティング関連
営業関連
哲学系
小説
歴史小説・・・

様々なものを読みますが、
最終目標は”人間力を磨く”ことだと思っています。

本だけでなく、日々の生活も同様だと思っています。

会社での仕事
クライアントとの打ち合わせ
飲み会
人との会話
家族との旅行

すべての目標は ”人間力を磨く”ことだと思っています。

ただ、そんなに深く考えて、日々生活しているわけではありません。
しかし、人としての芯となる考え方だったり、思想だったりというものは、
身につけ、それからズレないように日々生活しています。

簡単な言葉で言うと、
『間違ったことはしない』
ということでしょうか?
『曲がったことが大嫌いー』
ということでしょうか?

とはいえ、聖人君子ではないので、
そんなに堅苦しくも考えていません。

先程述べた”自分なりの芯”というものからズレなければ良し!としています。

それが、目指すべき人間力、目指すべき理想の姿につながるものと考えています。

会社経営や、もっと言えば国家経営も同じだと思います。
”自分なりの芯”が経営理念となり、そこから目標が作られ、
戦略におとされ、実行されていく。

人間にとって、カールさんが述べているような考え方を、
自分のなかに持っていることは非常に重要なことだと思います。

日々の生活が変わっていくと思います。