2012年5月13日日曜日

人に仕えるということ

『主に仕えるのであれば、わが身の外をもってではなく、内をもってすべきだとおもいます』

これは、宮城谷昌光氏「奇貨居くべし(春風篇)」の一節だ。

『従業員も千差万別である。巧言を呈する者を近くにおけば気分はよく、その巧智を商売にまわしてみると、おもったほどの成果をもたらさない。・・・ほんとうに主人を喜ばせる者とはそういう者たつまり男でも女でも内なる容姿というものがあり、その容姿のすぐれている者こそ、依恃に値する。・・・』


これを読んだときに、いかに外をもって仕える人が現代には多いかということが頭をかすめた。確かに、既に時代は違う。この本は紀元前のことが書かれている。

しかし、”人が人に仕える”ということは、別に時代が変わろうが、本質は変わらない。

ただ、仕える側だけではない。
”主”の方も、おかしくなっているのが現代なのかもしれない。
仕える側が”内”をもって仕えていても、”主”の側は何も考えていないというケースも非常に多い。
その場合の仕える側の落胆は、想像に難くない。
絶望でしかない。

時代は変わっても、
主従の本質的な関係は変わらないと思う。

もう一度、人間の歴史を見直し、
人としての生き方を見直すべきではないだろうか?



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